南 雄太

所属
前所属先 ロアッソ熊本
背番号 18
ポジション GK
生年月日 1979年09月30日(45歳)
身長 / 体重 185cm / 78kg
出身地 神奈川

南 雄太の情報

南 雄太(みなみ ゆうた、1979年9月30日 - )は、神奈川県・川崎市生まれで東京都・杉並区出身のプロサッカー選手。Jリーグ・横浜FC所属。元日本代表。ポジションはゴールキーパー。

来歴

プロ入り前
中学時代は読売ジュニアユースに所属、高校は静岡学園高校に進み1995年度の全国高校サッカー選手権大会優勝に貢献した。1997年にはまだ高校生ながらU-20日本代表に選出、ワールドユースでも正GKとして活躍し、将来を大いに期待された。

柏レイソル
1998年、柏レイソルに加入。すぐさま土肥洋一から定位置を奪うと、同年からはシドニー五輪を目指すU-21代表にも継続的に選出された。1999年にはU-20代表の一員としてナイジェリアで行なわれたワールドユースに2大会連続で出場。日本が初めてFIFA主催の国際大会で決勝まで勝ち進むキーマンとして活躍した。しかしながら、以後はキックの精度や集中力に欠ける部分を指摘されることも多くなり、シドニー五輪一次予選を最後に曽ヶ端準に正GKの座を奪われU-22代表から遠ざかり、五輪本大会は落選。

2001年にはプロ入り後一度も警告を受けていない点が評価され、Jリーグアウォーズでフェアプレー個人賞を受賞した。2001年11月には、イタリアとの親善試合前に日本代表GK楢崎正剛と川口能活が負傷したことから、急遽試合当日にA代表への合流を要請された。ちなみにこの日ピッチにいたGKは五輪予選で南からポジションを奪った曽ヶ端であった。

2006年、柏がJ2に降格し、キャプテンだった明神智和が移籍したことで新キャプテンに就任。チームをしっかり牽引し、1年でのJ1復帰に大きく貢献した。

明神らの移籍によって柏の最長在籍選手となり、柏を象徴する選手の一人としてサポーターから愛されたが、J2の横浜FCから加入した菅野孝憲に2008年シーズン途中にポジションを奪われ第2GKに降格する。それでも腐ることなく常に試合出場の準備を怠らなかったが、柏が2度目のJ2降格を喫した2009年のオフに経費削減の目的もあって戦力外通告を受けた。

ロアッソ熊本
2010年、J2のロアッソ熊本に移籍。J1クラブを含め、熊本より条件の良いオファーもいくつか届いていたが、戦力外発表の10分後に最初の連絡をしたという熊本の熱意が決め手になった。1年目は開幕からレギュラーに定着し、自身初となる公式戦(天皇杯含む)全試合フル出場を果たした。

2011年、本人の意向によりキャプテンに就任した。天皇杯は岩丸史也に譲ったが、リーグ公式戦は2年連続で全試合フル出場した。

横浜FC
2013年12月26日、4年間所属したロアッソ熊本を退団。J2の横浜FCに移籍することが発表された。

2016年9月25日、J2リーグ第33節のカマタマーレ讃岐戦で史上28人目となるJ2通算300試合出場を達成した。

しかし。2016年になると若手の渋谷飛翔にポジションを譲る機会が多くなり、渋谷が退団した2017年になると高丘陽平によって完全に正GKを奪われてしまいリーグ戦1試合の出場に終わった。高丘が去った2018年も、辻周吾やジェフ千葉よりレンタル移籍で加わった山本海人とのポジション争いとなったが、2人を上回る25試合に出場し正GKを奪還した。2019年は竹重安希彦にスタメンを譲ることもあったものの、33試合に出場。4年ぶりに30試合以上出場をクリアし、クラブにとって13年ぶりとなるJ1復帰に大きく貢献した。

柏時代の2009年以来のJ1となった2020年は日本代表経験もある六反勇治が加入し、激しいポジション争いを繰り広げた。六反に出場数では負けるも12試合に出場し、出場した試合では好セーブを見せるなどの活躍を見せた。

エピソード

小学校時代はフォワードであったが、「ライバルが少ないから」という理由で読売ジュニアユースにゴールキーパーで入団した。中学時代はサッカーよりもバスケットボールの方が好きだったという。

2004年5月22日のサンフレッチェ広島戦(広島ビッグアーチ)では、キャッチングしたボールを味方に投げようとした際、手元を誤り、真後ろの自陣ゴールにボールを投げ入れてのオウンゴールという失態を犯してしまった。このプレーのため、翌週発売の『週刊サッカーダイジェスト』では3.0、『週刊サッカーマガジン』では2.0(ともに10段階評価)と、通常のプレーでは用いられることがほとんどない低い採点で評価された。次の公式戦のナビスコカップ予選グループ第3節FC東京戦は欠場するが、続く第4節アウェイ鹿島戦、リーグ戦のホーム清水戦はそれぞれフル出場して連続で相手を無得点に抑えた。

2019年3月にフジテレビ系列で放送されたスポーツ番組『ジャンクSPORTS』で、このオウンゴールについて「投げようと思ったら相手の選手がブワーッと走って来たのが見えたんで、途中で投げるのやめようと思ったら、ボールがちょっとフワーッて手から離れたんで、まずい!と思って返したらバシッ!って当たって…」と当時の状況について初めてテレビで話した。また、「今だからあれですけど、3年ぐらいは本当にこれはもうネタにもできなかった話」とこの事について封印していた事を明かした。

2007年からは、前年のチームのJ1昇格を機に「ゼロからやり直したい。」という自身の意向により、前年までつけていた背番号1を新加入の水谷雄一に譲り、入団当時の背番号21に変更した。翌年に水谷は退団したため1番は空いたが、それでも南に背番号変更の意思はなく、若手の桐畑和繁に譲った。

引用元:wikipedia

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