所属 | バイヤー・レヴァークーゼン |
---|---|
背番号 | 20 |
ポジション | MF |
生年月日 | 1989年04月17日(35歳) |
身長 / 体重 | 171cm / 70kg |
国籍 | チリ |
所属 | バイヤー・レヴァークーゼン |
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背番号 | 20 |
ポジション | MF |
生年月日 | 1989年04月17日(35歳) |
身長 / 体重 | 171cm / 70kg |
国籍 | チリ |
チャルレス・マリアーノ・アランギス・サンドバル(スペイン語: Charles Mariano Aránguiz Sandoval、発音 [aˈɾaŋɡis]、1989年4月17日 - )は、チリの同国代表サッカー選手。ポジションはMF。
CFウニベルシダ・デ・チレ時代には、その戦略的なセンス、スタミナやプレーメイク能力、マークやパスの能力から、既にプレメーラ・ディビシオン有数のミッドフィールダーとして考えられていた。ポジションとしてはミッドフィールダーで、守備的ミッドフィールダー、セントラルミッドフィールダーのほか、右ウイングもこなすことが出来る。国際サッカー連盟の公式サイトでも「狡猾で獰猛な最上級のミッドフィールダーで、特にボールを供給してパスを運びネットを揺らす能力で著名である」と紹介されている。
クラブ歴
幼時
首都州のプエンテ・アルトで生まれた。母親はサッカー指導者であった。13歳にしてCFウニベルシダ・デ・チレの下部組織に所属し、その後CDコブレロアに移籍した。
プロデビュー
2006年にそのままCDコブレロアのトップチームに昇格、CDコブレサル戦で初出場した。プリメーラ・ディビシオンでの初得点は同年のCDオヒギンス戦であった。その後、CDコブレサルへのレンタル移籍、CDコブレロアへの復帰を経て、CSDコロコロに移籍し、2009年のプリメーラ・ディビシオンのクラウスーラを制した。
2010年にはアルゼンチンのキルメスACに移籍した。
CFウニベルシダ・デ・チレ
その後2011年1月1日にCSDコロコロのライバルであり、下部組織時代に在籍したCFウニベルシダ・デ・チレに61万6000ユーロで移籍した。CFウニベルシダ・デ・チレではすぐにレギュラーの座を掴むとコパ・スダルメリカーナ2011制覇に貢献した。決勝戦でエクアドルのLDUキトを4-0で下し、チリ勢としては20年ぶりの大陸大会でのタイトルを持ち帰った。
2013年4月17日、2012-13シーズンのコパ・チレの準決勝ではウニオン・エスパニョーラと3-3の引分となりPK戦に縺れ込んだが彼のPKを始めとする決定力で5-4とし、決勝進出にクラブを導いた。決勝戦ではフル出場し、ウニベルシダ・カトリカとの試合はフアン・イグナシオ・ドゥマの決勝点によって勝利を収め、タイトルを獲得した。
SCインテルナシオナル
2014年1月1日にはジャンパオロ・ポッツォがCFウニベルシダ・デ・チレが所有していた彼の権利の半分を買い取り、ウディネーゼ・カルチョに移籍、10日にブラジルのSCインテルナシオナルへのレンタル移籍が決まった。結局、ウディネーゼ・カルチョでプレイする事は全く無かった。
SCインテルナシオナルではカンピオナート・ガウショの2014シーズン最優秀選手を受賞し、クラブも43回目の優勝を達成した。
2014年6月11日には投資家との連携によってSCインテルナシオナルに完全移籍、移籍金は明らかになっていない。そして2018年6月までの新たな契約で合意に達した。
バイエル・レバークーゼン
2015年8月13日にバイエル・レバークーゼンがSCインテルナシオナルから買収、移籍金は不明である。。彼には20番の背番号が与えられた。
代表歴
2007年にはミルクカップに参加した。2008年にはトゥーロン国際大会やミルクカップなどにも参加した。その後2009 南米ユース選手権に参加し、フリーキックから1得点を挙げた。
チリA代表としての初出場は2009年であったが、2010 FIFAワールドカップ、コパ・アメリカ2011の際にはメンバーに選ばれなかった。代表に定着したのは2014 FIFAワールドカップ・南米予選で、7試合に出場しボリビア代表、ベネズエラ代表から得点を奪った。
2014年6月1日には2014 FIFAワールドカップの最終メンバーに選抜された。グループステージ第2戦となったエスタジオ・ド・マラカナンでのスペイン代表戦ではエドゥアルド・バルガスの得点をアシストし、その後彼も得点しスペイン代表を完封、前回王者のグループステージ敗退とチリ代表の決勝ラウンド進出に大きな役割を果たした。
コパ・アメリカ2015ではボリビア代表戦で得点を挙げ5-0の大勝に貢献、決勝ラウンドに進出し、優勝を果たした。引用元:wikipedia
2021年2月1日