冨安健洋

所属
前所属先 シント=トロイデンVV
背番号 14
ポジション DF
生年月日 1998年11月05日(26歳)
身長 / 体重 188cm / 84kg
国籍 日本
出身地 福岡県

冨安健洋の情報

冨安 健洋(とみやす たけひろ、1998年11月5日 - )は、福岡県福岡市出身のプロサッカー選手。ポジションはDF。セリエA・ボローニャFC所属。日本代表。

略歴

プロ入り前
小学生の頃に三筑キッカーズの総監督が目を見張るスピードで走っている冨安の姿を偶然目撃、冨安の知り合いの父母に「あの子を何とか(三筑)キッカーズに入れてくれん?」と依頼し、父母からチームに勧誘された冨安は結果的にサッカーを始めることになった。

11歳の時、2009年に開校したバルセロナスクール福岡校にコーチに勧められ入会し、小学6年生になるとナショナルトレセンに選出され、地元では広く知られる存在になった。バルセロナスクール福岡校のコーチは冨安をFCバルセロナに推薦したが、小学生をスペインに連れていくのは難しく、話は立ち消えとなった。しかしのちに18歳でアビスパ福岡の主力選手として活躍できたのはその時の経験が生かされているからだと語っている

中学生からアビスパ福岡の下部組織に入団。ジュニアユース時代は3学年ともキャプテンを務めた。中学3年生時には、飛び級でアビスパ福岡のトップチームの練習に参加するようになる。2015年5月19日、高校2年生ながらアビスパ福岡に2種登録され、同年10月の天皇杯3回戦のFC町田ゼルビア戦で、高校2年生の時に公式戦デビューを果たす。

アビスパ福岡
2016年、高校卒業を待たずに高校3年生の時、アビスパ福岡のトップチームに昇格。2ndステージの第3節FC東京戦でボランチとしてプロデビューを果たすと、その後はディフェンスラインのレギュラーに定着した。2017年3月19日、J2第4節のロアッソ熊本戦でプロ入り初得点を記録。

シント=トロイデンVV
2018年1月8日、ベルギー1部のシント=トロイデンVVに移籍することが発表された。J1リーグの強豪クラブも獲得に興味を示していたが、強い海外志向により、億単位の移籍金を残して海外移籍することになった。5月13日、プレーオフ9節のロイヤル・アントワープFC戦で移籍後初出場を果たした。

2018-19年シーズン、7月18日に行われた開幕戦のサークル・ブルッヘ戦でフル出場でリーグ戦初出場を果たした。11月25日、第16節のRSCアンデルレヒト戦では移籍後初得点を決めて勝利に貢献した。12月、ドイツ1部のヴェルダー・ブレーメンが移籍金600万ユーロ(約8億円)でオファーを出したが、シント=トロイデン側は少なくとも移籍金1000万ユーロ(約13億円)を求めていた事もありオファーを断った。リーグ戦終了後に、クラブのサポーター団体「Spionkop Geel-Blauw」によるシーズン最優秀選手に選出された。

ボローニャFC
2019年7月9日、セリエA・ボローニャFCへの完全移籍が発表された。背番号は「14」。8月10日、親善試合のビジャレアルCF戦でヘディング弾を決めボローニャでの初ゴールを記録した。8月18日、コパ・イタリア3回戦のACピサ1909戦で公式戦デビューを果たした。8月25日、セリエA開幕戦のエラス・ヴェローナFC戦で右サイドバックとしてリーグ戦デビューを果たしそのプレーに多くの称賛の声が上がった。

ガゼッタ紙は新星ベスト5に選出。英『トーク・スポーツ』が発表した「今季のヨーロッパのワンダーキッド トップ20」でジェイドン・サンチョやキリアン・エムバペが名を連ねる中10位に選出された。9月12日、ボローニャは8月のクラブ月間MVPにロベルト・ソリアーノやリッカルド・オルソリーニを抑え冨安が選出された事を発表した。12月15日、セリエA第16節アタランタBC戦にて移籍後初アシストを記録。2020年7月18日、第34節ACミラン戦で左足のミドルシュートでセリエA初得点を記録した。シーズン通して右サイドバックやセンターバックとして先発出場を重ね、7月にはコリエレ・デロ・スポルト紙から「冨安は黄金の選手。シニシャ・ミハイロヴィチ監督にとってなくてはならない選手」と評価された。

シーズンオフにはACミランから正式に獲得に向けてのオファーが届いたが、ボローニャに残留する事を決めた。

日本代表

2016年7月1日、リオ五輪のトレーニングパートナーに選出された。10月、AFC U-19選手権のメンバーに選出。10月17日、第2戦のイラン戦ではセンターバックとして無失点に抑えて、中山雄太とともに安定したディフェンスを披露した。10月30日、決勝のU-19サウジアラビア戦でも日本のピンチを抑えて初優勝に貢献した。

2018年8月30日、キリンチャレンジカップに挑む日本代表に初招集され、10月12日のパナマ戦で先発して日本代表初出場を果たした。10代での日本代表デビューは2012年の宮市亮以来で、センターバックの選手としては史上初となった。

2019年1月、AFCアジアカップ2019のメンバーに選出。1月9日、初戦のトルクメニスタン戦でスタメン出場し大会最年少での出場を飾った。 1月21日のサウジアラビア戦ではコーナーキックを頭で合わせ、同大会トルクメニスタン戦の堂安律(20歳207日)の記録をさらに上回り、アジアカップの日本人最年少ゴールを2週間足らずで更新した(20歳77日)。準決勝のイラン戦では、CBでコンビを組む吉田麻也と共にイランのエースのサルダル・アズムンを完全に抑え、長友佑都から絶賛された。この大会、最年少ながらレギュラーとして移籍金が急騰するような活躍を見せたが、決勝でカタールに敗れて準優勝となった。

2019年9月、W杯アジア2次予選のメンバーに選出。9月10日、アウェイのミャンマー戦でスタメン出場し日本代表のセンターバックとしては越田剛史以来39年ぶりの20歳でのW杯予選デビューとなった。劣悪なピッチコンディションの中でチームトップとなる95本(成功率は90.5)のパスを成功させ、こぼれ球奪取数3回、シュートブロック2回、クリア数3回を記録するなど守備面での貢献度は絶大であった。また、ミドルサードでのプレー数もチーム1位となる126回を記録しており、幅広いエリアを的確にカバーしていた。

エピソード

「健康で、太平洋のように広い心を持った人間に育ってほしい」という願いを込めて「健洋」と命名された。

小学生の頃に所属した三筑キッカーズの総監督は「ドリブルさせたら、恐らく福岡県で彼に追いつける足を持っている子はいなかった。恐ろしいくらい速かった」と語るほど足が速い。そして、練習のない時は近所の公園で練習を重ね、練習量が半端なものではないと感じていた。また、練習にはいつも一番早く来て準備を手伝い、帰っていくのも片付けを見届けてから、いつも最後だったという。

目標とする選手は現役時代、駆け引きが上手く、ボランチもこなしていたハビエル・マスチェラーノ。

小学生の卒業文集には「プロサッカー選手になって、お母さんとお父さんにおうちを建ててあげたい」という夢を記した。

17歳(高校3年生)の時にプロ契約を結び、アビスパ福岡史上初の高校生Jリーガーとなった。

バルセロナスクール福岡校に在籍時、スペイン遠征をした頃から世界を意識するようになった。

2017年のJ1昇格プレーオフ決勝の名古屋グランパス戦では、左足首が疲労骨折している中での出場だった。

AFCアジアカップ2019のサッカー日本代表のキャプテンであった吉田麻也は冨安から、抜群の吸収力、試合に勝つために吉田自身に対してどんどん質問していく前のめりさを感じたと、2019年の記事で語った。

所属クラブ

三筑キッカーズ(福岡市立三筑小学校)
アビスパ福岡U-15(福岡市立三筑中学校)
アビスパ福岡U-18(九州産業大学付属九州高等学校)
2015年 アビスパ福岡(2種登録選手)
2016年 - 2017年 アビスパ福岡
2018年 - 2019年 シント=トロイデンVV
2019年 - ボローニャFC

引用元:wikipedia

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