所属 | サンフレッチェ広島 |
---|---|
前所属先 | ベガルタ仙台 |
背番号 | 22 |
ポジション | GK |
生年月日 | 1991年04月30日(33歳) |
身長 / 体重 | 192cm / 89kg |
出身地 | 茨城 |
所属 | サンフレッチェ広島 |
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前所属先 | ベガルタ仙台 |
背番号 | 22 |
ポジション | GK |
生年月日 | 1991年04月30日(33歳) |
身長 / 体重 | 192cm / 89kg |
出身地 | 茨城 |
川浪 吾郎(かわなみ ごろう、1991年4月30日 - )は、茨城県つくば市出身のサッカー選手。ポジションはGK。Jリーグ・サンフレッチェ広島所属。
来歴
サッカーを始めたのは兄の影響。中学校の時から柏レイソルの下部組織で活動し(同期には奥山武宰士など)、2010年からトップチームに昇格。しかし既に菅野孝憲がゴールマウスに君臨しており昇格後は出場機会を得られなかった。
2011年6月13日、出場機会を得るためGK不足に陥っていたFC岐阜に期限付き移籍。移籍後は野田恭平・村尾龍矢に次ぐ3番手に留まっていたが、野田の負傷をきっかけに第31節・横浜FC戦でプロデビューすると、野田の復帰後もゴールマウスを譲らずにリーグ戦10試合出場した。シーズン終了後に期限付き移籍期間満了となり退団した。
2012年より柏レイソルに復帰。第2GKだった桐畑和繁が負傷離脱したが、控えの座には稲田康志が収まったため、ベンチ入りもままならず公式戦での出場機会は得られなかった。
2013年、徳島ヴォルティスに期限付き移籍。第3GKとなり公式戦での出場機会はなかったが、J1昇格を経験した。2014年より完全移籍に移行。昇格後は、天皇杯とJリーグ杯での先発出場の機会はあったが、長谷川徹と松井謙弥の前にリーグ戦での出場機会は得られず、チームも1年でJ2降格となった。
2015年より、アルビレックス新潟に完全移籍。 加入後は守田達弥の控えを主に務め、徳島時代と同様にカップ戦ではスタメンに名を連ねた。2017年になると浦和レッズより大谷幸輝が加入したため第3GKに下がったものの、カップ戦では引き続き出場機会を得た。
新潟のJ2降格に伴って、2018年よりベガルタ仙台に完全移籍。加入後は関憲太郎とシュミット・ダニエルに次ぐ第3GKとなり、シュミット退団後も彼と入れ替わりで入団したヤクブ・スウォビィクがレギュラーに収まったため、リーグ戦では出場機会は得られなかったが、新潟時代に引き続きカップ戦要員としてチームに貢献した。
2021年より、サンフレッチェ広島に完全移籍。引用元:wikipedia
2021年2月3日