所属 | 横浜F・マリノス |
---|---|
前所属先 | ヴィッセル神戸 |
背番号 | 5 |
ポジション | DF |
生年月日 | 1990年02月06日(34歳) |
身長 / 体重 | 171cm / 62kg |
出身地 | タイ |
所属 | 横浜F・マリノス |
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前所属先 | ヴィッセル神戸 |
背番号 | 5 |
ポジション | DF |
生年月日 | 1990年02月06日(34歳) |
身長 / 体重 | 171cm / 62kg |
出身地 | タイ |
ティーラトン・ブンマタン(泰: ธีราทร บุญมาทัน, 1990年2月6日 - )は、タイ王国・ノンタブリー県出身のプロサッカー選手。Jリーグ・横浜F・マリノス所属。登録ポジションはディフェンダー。日本での登録名はティーラトン。
来歴
ブリーラム・ユナイテッドFCの主力の一人として、チームの成功に大きく貢献した。特にフリーキックから多くの得点やアシストを生み出してきた。AFCチャンピオンズリーグには2012年から連続して出場しており、2013年は準々決勝のエステグラル・テヘランとの第1戦を除く、10試合に先発フル出場を果たし、グループリーグ最終節のFCソウル戦で決勝トーナメント進出につながる同点ゴールを決めた。また大会ベストイレブンと7人のサブメンバーからなるドリームチームにサブメンバーの1人として選出された。2014年はセレッソ大阪とのホーム試合で先制ゴールを決めた。
2013シーズンはタイ・プレミアリーグの最優秀選手賞に選ばれた。10月の月間最優秀選手賞も受賞した。
2015シーズン、AFCチャンピオンズリーグのグループリーグにおいて、ガンバ大阪戦ではアウェイ戦で直接FKを左足で決め、ホーム戦ではCKを左足で直接決めるなど、「悪魔の左足」と称された。
2018年、日本のヴィッセル神戸に期限付き移籍で加入。神戸には元ドイツ代表のルーカス・ポドルスキ、7月には元スペイン代表のアンドレス・イニエスタが加入し、最終節には同じく元スペイン代表のダビド・ビジャが来季から加入するため神戸に観戦に訪れていた。この状況に自身のフェイスブックに「なんて、Jリーグの1年なんだ! 今、同じ部屋に3人のワールドクラスプレーヤーがいる。この雰囲気は忘れられないものだ」と綴っている。同シーズン終了後、移籍期間満了により神戸を退団。
2019年、ムアントンへの復帰が決定していたが、1月のタイ代表として参加していたアジア杯中に横浜F・マリノスへの期限付き移籍でのオファーが届き、その日のうちに決断するよう伝えられて移籍を決断した。開幕直後はレギュラーを掴めなかったが、第12節からレギュラーを掴み、出場停止で出場出来なかった1試合を除き、そこから全試合出場している。8月31日、ガンバ大阪戦で来日初ゴールを決めると、次の試合の9月14日に行われたサンフレッチェ広島戦で2試合連続となるゴールを決めた。12月7日、勝てばリーグ優勝の決まる最終節・FC東京戦では、先制ゴールを決めてチームの優勝に貢献。タイ人初のJリーグ優勝を成し遂げた。シーズン終了後には、Jリーグ優秀選手賞に選出され、母国タイの年間最優秀選手賞に選出された。
代表
2012年9月12日、ラオスとの親善試合でPKから代表初得点を決めた。同年12月13日には2012 AFFスズキカップ(第9回東南アジアサッカー選手権)のマレーシア戦で通算2得点目を決めた。2012年度のAFFスズキカップでは左サイドバックのポジションで大会ベストイレブンに選出された。
2013年に開催された第27回東南アジア競技大会にはU-23タイ代表の主将として臨み、金メダルを獲得した。
エピソード
2011年11月11日、タイ代表の一員として2014 FIFAワールドカップ・アジア予選のサウジアラビア戦に出場した。後半アディショナルタイムにレッドカードを提示されて一発退場すると、試合後にはサウジアラビアからインドネシアに移動し、U-23タイ代表の一員として東南アジア競技大会に参加した。11月13日のインドネシア戦は2枚のイエローカードを提示されて退場した。この結果、3日間で2枚のレッドカードを提示された最初のタイ人サッカー選手となった。
2013年にブリーラム・ユナイテッドFCで監督を務めた英国人スコット・クーパーは、テーラトンの能力の高さを評価し、「彼は大陸最高の左サイドバックになることができると信じている」と語った。引用元:wikipedia
2021年2月3日